医事・世事をフリートーク
続・平和に暮らすために‐国家安全保障戦略‐
2023.10.05戦争をしない国、戦争に巻き込まれない国は、どういう国でしょうか?
先週のTea Timeで防衛費増額反対を主張したのは、国民の生活を削って、防衛費を増額することが必ずしも平和に暮らすことにならないと思ったからです。
国家財政は大赤字なので、防衛費を増やすということは、増税を始め全て国民負担で賄うということです。
まず、2016年10月26日Coffee Break平和に暮らすために-憲法9条を考える-の一節を紹介します。
『憲法を考える昭和の会講師に防衛庁高官を招いた例会の質疑応答でのことです。後に首相になったある会員が「何隻もの外国の軍艦が日本の波打ち際まで迫ってきても、先に発砲してはいけないのですか」という質問をしました。それに対して「軍艦から発砲されない限り、こちらからは発砲できません」とその講師は答えていました。時代の様相は変わったかもしれませんが、いまなお変わらない、同じ憲法に対するこれが三十数年前の標準解釈でした。』とあります。
政府が閣議決定した「国家安全保障戦略」などの3文字では、他国領域のミサイル発射拠点などを破壊する攻撃(反撃)能力保有の明記が柱で、戦後の防衛政策の大転換となるとの報道がありました。
敵基地を攻撃することは、日本から攻撃を仕掛けたと受け取られるリスクもあります。戦後日本の平和主義を支えてきた戦争放棄を定める憲法9条に基づいた専守防衛の形骸化を決定的にします。武力行使は元々日本の領域と周辺に限り、海外では一切できないという解釈でした。
2015年の安全保障関連法で、集団的自衛権の行使が可能になってしまったことも、戦争に巻き込まれる可能性を高めています。
さらに敵地攻撃能力も保有することになれば、政府の思想とは逆に、77年続いてきた日本の平和にとって、最大の危機となることは間違いありません。
先の敗戦から多くのことを学び、決して人を傷つけることなく平和を望む日本国民の謙虚な姿勢があったからこそ、平和が続いてきたのです。
同じ憲法なのにこれだけ解釈が、違ってくることをもう見逃すことはできません。
「現在の自衛隊の能力は十分でない。相手に攻撃を思いとどまらせる抑止力となる反撃能力は今後不可欠となる。」と発言し、なし崩しに解釈を変え、防衛力を増強するというのなら、むしろ憲法9条改正を国民に正々堂々と訴えるべきです。
憲法改正については、世論が半々に割れているので、政治家も憲法改正反対の声を上げやすかったのですが、今回は防衛力強化と防衛費の大幅増額を大前提として、国民の批判をかわすための「ごまかし方」で争っている巧みな手段に振り回されている上に、賛成の世論が現状では多数を占めていることもあり、反対の声が聞こえにくくなっています。来年の通常国会も含めた今後の議論を注意深く見守らなければなりません。
日本の歴代政権は、防衛費国内総生産比1%枠を守り、防衛費を国債発行で賄うことがないように、真摯な議論をつづけてきました。一方平和を愛する国民は、戦後戦争や紛争に巻き込まれないように欲張らず身丈に合った生活をしてきました。
その日本の防衛予算をロシアを抜いて米国中国に次いで世界第3位となる2%に突然増額しようとする政府の主張は、平和を願う一国民として容認するわけにはいきません。
先生はいかがお考えでしょうか? (A)