医事・世事をフリートーク

平和に暮らすために‐憲法9条を考える‐

2016.10.26

‐ 現行憲法 ‐
第二章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

〈三十数年前の経験から〉
三十数年前、「憲法を考える昭和の会」という藤波孝生代議士を座長に、海部俊樹代議士・細川護熙議員・羽田孜代議士・橋本龍太郎代議士・小渕恵三代議士・森喜朗代議士・小泉純一郎代議士ほかを世話人として、100名を超える昭和生まれの国会議員が参加した自民党の議員連盟が結成され、その事務局を担当させていただく機会がございました。

憲法を考える昭和の会は、日本医師会会長の武見太郎さん・伊藤忠商事会長の瀬島龍三さん・文化学園理事長の大沼淳さん・憲法学者の佐藤功さんら、各界から有識者を講師にお招きして勉強会を開き、速記録を編集して、全会員に配布していました。

そのときのことで、憲法9条に関して、想い出した場面があります。
憲法を考える昭和の会講師に防衛庁高官を招いた例会の質疑応答でのことです。後に首相になったある会員が「何隻もの外国の軍艦が日本の波打ち際まで迫ってきても、先に発砲してはいけないのですか」という質問をしました。
それに対して「軍艦から発砲されない限り、こちらからは発砲できません」とその講師は答えていました。
時代の様相は変わったかもしれませんが、いまなお変わらない、同じ憲法に対するこれが三十数年前の標準解釈でした。

このように、諸先輩のご高説を聞くことができましたし、会の趣旨説明や、冊子の校正で講師の方々といろいろなやりとりをさせていただき、かけがえのない勉強をさせていただきました。

そんな若い頃の経験もあって、Coffee Breakの『役割を終えた二重ルール』で交通違反とともに代表的な例として自衛隊の問題を取りあげ、「憲法については、いずれ稿を改めて私の考えを述べたいと思います」とお約束していたにもかかわらず、ただただ怠惰で10年の時が経ってしまいました。

その間、世界の変化というより、日本の変化、つまり、節目に大所高所からご指導をしてくださった戦争を体験した世代が減り、戦争の悲惨さを直接知らない世代も指導的立場になりました。
筆舌に尽くし難い戦争体験に根ざした、反戦の心を持ち続ける先達の影響が薄れ、日本人の平和感覚に変化が生じたのか、改憲賛成の議員が衆・参両院ともに3分の2以上の議席を占めるようになりました。
そして、いよいよ衆・参両院の憲法審査会で改憲議論が始まろうとし、憲法改正発議が現実になりつつあるのに、このまま傍観していいのかと思慮し、読者の皆さまとのお約束を果たすのは『今でしょ!』と心に決め、力をふりしぼって筆を取りました。

〈憲法特に9条についての意見〉
ほとんどの人は、日常生活において憲法のことを考えることは少ないと思いますので、まず、9条を中心に憲法についての生の声をいろいろあげてみます。

独立国なのに、自国を自分達で守ることができないのか。
独立国なので、軍隊を持つべきだ。
戦力は保持しないと言っているのに、自衛隊の存在はどうなのか。
9条2項を素直に読めば自衛隊は憲法違反になる。
自衛隊は違憲かもしれないと思われているままでいいのか。
最大の問題点は、自衛権などを規定した条文がなく、すべてが解釈にゆだねられていることである。
個別的自衛権の行使は認めたのに集団的自衛権を認めないのはおかしい。
日本弱体化のために、制定の過程でGHQが作って押しつけたものだ。
時代遅れになっている。
読んでも何を言っているのかわからない。
不完全な存在である人間が絶対に正しい憲法を制定することなどできない。
9条はそのままで、変えやすい所から変えていけばいい。
9条は絶対に守らなければならない。
9条が今のものになる前は、戦争ばかりだった。
戦前の日本は1874年の台湾出兵以来71年間、戦争する国であったが、戦後71年間、戦争をしない国であり続けた。
9条の平和主義のお陰で、70年間一度も戦争をしなかったから、海外で活動する日本人も守られてきた。

〈戦後のアメリカ合衆国と日本そして集団的自衛権〉
次に、戦後のアメリカと日本を比較してみます。

戦勝国のアメリカは、世界一の軍事力・経済力を持っているのに、大義のためと称して、戦争によって他国民の命を奪い、自国の若者達も命を失なったり、けがや病気の後遺症に悩まされたりしてきました。
一方、敗戦国の日本は、結果として戦争に巻き込まれることなく、戦争でひとりの人も殺さずひとりの人も死ぬことなくこられました。

そして、平成27年3月29日、集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法が施行されました。

集団的自衛権についても生の声をいくつかあげてみます。

日本が他国に攻められたとき、アメリカは助けてくれるのに、アメリカが他国に攻められたとき、助けられないのは違うのではないか。
果たして、間違うことがたびたびあるアメリカのやる戦争の手伝いをすべきなのか。
集団的自衛権は国連憲章で認められた固有の権利だ。
日米安全保障条約が軍事同盟に変わってしまった。

平和を守るぎりぎりの知恵にも、そろそろ限界がきたのかもしれません。

前述の日本とアメリカの関係が双務的でなければならないという声に応えて、日本とアメリカのそれぞれの立場・役割を述べます。

日本国内には、アメリカの軍事基地がありますが、アメリカ国内には、日本の基地がありません。
日本が攻められたときというのは、基本的に日本の領土・領海・領空で攻撃されたときを指しますが、アメリカが攻められたときというのは、自国が攻撃されたときではなく、世界平和という大義はあるかもしれませんが、アメリカが他国の領土・領海・領空で活動をしているときを指し、大きな違いがあります。

〈第9条の平和の精神〉
世界中で、凄惨なテロ事件が後を絶ちません。
戦争もテロも力だけで解決することは不可能です。

今こそ日本国憲法第9条の平和の精神を、世界平和のために自信を持って、発信すべきです。

憲法を改正するには、とりあえず変えやすい条文からというのではなく、少なくとも第9条が果たしてきた役割についてしっかりと議論することから始めなければならないと思うのです。
平和の精神を貫こうという信念があれば、わかりにくい部分や現状に即していない部分を検証し克服して、より良い憲法に変えられるかもしれません。

前置きはこれくらいにして、憲法改正についての考え方、そして改正するとしたらズバリ第9条をどう直すべきか、次号で私見を述べさせていただきたいと思います。
読者の皆さまにとって、本稿が憲法について考えるきっかけになってくだされば、この上ない幸せです。

(A)